自宅で死にたい母の介護ブログ

入退院を繰り返した母親にもう二度と入院はし たくないと言われ、在宅での介護を決意、これから先 の予測できない医療対応と介護を行い、両親と 私に発生するストレスを記すブログ

早期退職し介護生活となる経緯

平成29年4月:母が転倒し救急車で病院に搬送されたと連絡が入る、仕事を切
        り上げ病院へ直行すると担当医から大腿部頸部骨折と告げられ
        る。母87歳、この身体(※1)手術に耐えられるのか?
        ・・判断に迷う。
        将来寝たきりになるより、少しでも歩ける可能性を説得し手術
        決定。しかし、術前の血液検査から白血病の疑いが判明し、詳
        しい検査は術後となった。
        ・・なんでこのタイミングにまた別の病気か?
        このことは母には告げず手術へ、手術は成功し整形外科病棟で
        のリハビリ入院がスタート⇒しかし血液検査の結果は「慢性骨
        髄性白血病」
         ※この時点で早期退職と介護生活の覚悟をする。
      ★整形外科病棟から血液内科病棟へ移動して歩行訓練と同時に抗が
        ん剤による白血病の治療もスタートする。
         ※がんを告知すべきか迷ったが医師のアドバイスで実施する
        一部の親戚だけに白血病を伝えた(母:知らせないでほしい)
         ※なんで?なんで?私がこんなことに?・・・母の言葉と涙
      ★慢性骨髄性白血病の治療薬は「グリベック」という最新の治療薬
        があり、うまく奏効すればQOLを維持できることは定評があ
        り、副作用が少なく奏効することを祈る。(元製薬会社勤務)
         ※投薬開始し順調に白血球も下がり安定し、歩行訓練も順調
         でありめでたく退院となる。
         (私の有給休暇を使っての介護が始まる)
         ※この時点で退職のタイミングを考え始めた。
       ⇒退院1週間後、我慢強い母は抗がん剤の副作用はこんなもんだ
        と勝手に判断し、私や医師に何も伝えていなかったため全身状
        態が急激に悪化、退院して1週間後に血液内科に再入院。
        副作用の後遺症治療に3週間がかかり、他の抗がん剤の選択と
        なり、「ハイドレア」の投与となる。この薬剤はうまく奏効し
        安定したため、母の強い希望で退院し、外来での治療をする事
        になる。外来は2週間に1回の血液検査と診察になるため退院
        とほぼ同時の退職日を決定。  ※平成29年7月末で退職
        あれから1年、両親も私も様々なストレスがあり、その葛藤や
        これから起こるであろうストレスに立ち向かうためにブログを
        立ち上げた。


  《 ※1:これまでの母の病歴と身体状態 》
平成19年1月:「胃がん」が見つかり手術、胃8割の摘出を行う。
         ※早期発見で転移なく、抗がん剤を使う事もなく、再発もな
         く安心していた。
平成26年5月:「大腸破裂」で緊急手術(救命措置)で人工肛門を1つ作る。
         ※母はこの時、奇跡的に助かった状況であった。(医師談)
        →本人曰く、三途の川を渡ってきたと・・何か見てるらしい?
平成26年7月:(入院2カ月後)手術の傷の治りが悪く退院できない状態、腸
         の癒着からくる便逆流のため再度開腹手術となる⇒人工肛門
         2つ目を作る。
                              ※(延べ連続4カ月)の入院の後、なんとか退院。
                   しかし、自宅で2つの人工肛門(ストマ)を自分で管理処理をする
     ことは不可能であるため、訪問看護師さんをお願いすることになる。
      ※この訪問看護師(Oさん)との出会いがその後の母の生きる意欲
        を高め、弱音を吐くことが少なくなる。(Oさんありがとう)
         ⇒そして平成29年4月の転倒へ