自宅で死にたい母の介護ブログ

入退院を繰り返した母親にもう二度と入院はし たくないと言われ、在宅での介護を決意、これから先 の予測できない医療対応と介護を行い、両親と 私に発生するストレスを記すブログ

延命治療はしないと言う約束

「延命治療はしないでいい」と言い出したのは父である。5~6年前だが,TVの
番組で経管栄養で植物状態になっている人を見た時である。俺はあんな風にな
るまで生きていたくない、お前に言っとく「俺の延命治療はしないでくれ」
と言った。私もある一定の年齢になり自力で食べられなくなったら、それが自
然で、強制的に栄養を補給すると本人が苦しむ結果にもなるから同じ考えであ
ると伝えた。 ※この時点で父と私の間には約束事となっている。
 その頃の母は大腸破裂を起こす前で特に意見もなく話を聞いていたと思う。
その後、母は大腸破裂を起こし救急車で搬送され緊急手術にて奇跡的に生還し
たわけだが医療技術の素晴らしさに感謝しながらも、なんで私がストマを2つ
も付けた状態で生きなければならないのかと病室で泣くこともあった。
 緊急時の救命は必然であり、家族にとっては母が生還したわけだから神様に
感謝である。しかし母の頭の中にはあの時に三途の川を渡ったのだから、その
まま逝ったほうが良かったかもしれないという思いがある。その後の母の病気
を考えると母の気持がわかります。


 両親と「延命治療はしない」と言う約束になったのは、つい半年ほど前のこ
とである。父の親しくしていた友人が入院し、私が父の代わりにお見舞いに行
、1カ月が過ぎた頃、急に「私を病院に連れて行ってくれ」と父に頼まれた。
そして車椅子にのせて病院へ、病室に入り言葉をかけたが話になるような会話
は出来ず、5分も経たない間にまた来るからと声をかけて退室した。父は相当
ショックだったのか病室を出た直後から私に質問を浴びせる。
 ・・・後どのくらい生きられるのか?・・・なんで食事が食べれないのか?・・・あの
管はなんだ?・・・延命治療なのか? 家に帰っても同じような状態で夕食時には
延命治療の話となった。父の友人の場合、入院直後から中心静脈栄養が入った
ために、口で食べたいのに経口での食事を身体が受け付けなくなってしまって
おり管を外すことが出来なくなってしまったらしい。
 その日の夕食後には、両親は自然に食べられるうちは食欲に応じて食べ、食
べれなくなったら自然に任せることを選択すると、私に伝えた。
《約束》
①栄養補給の管は一切入れない
②水分確保の点滴はOK(薬剤の点滴もOKだが最低限必要なもの)
③父は酒だけは毎日飲ませてくれと言う、飲めなくなった時が最後の時と判断
④末期の水の代わりにお酒 ※(酒好きな父ですから約束を守ります)

二度と入院はしたくない、自宅で死にたい(2)

 母を「自宅で死なせてあげたい」、しかも入院することなくである。どうし
たら出来るのか?簡単ではない。これから起こることを予想して何か医療的な
問題が起こった時はU先生に往診をしてもらい。訪問看護師Oさん(週2回)
の力を借りて相談しながら対応し、日常的には私が頑張れば何とかなるか?
、そう単純に考えるしかない、やって看るしかない。

かかりつけ医で以前から母が診ていただいているUクリニックのU先生と看護師
Oさんにまずは相談することにした。そんなことを考えていると看護師Oさんか
ら、母から「自宅で死にたい」と言う話を聞いたと報告を受けた。母はOさん
に絶対の信頼を寄せており何でも話している。Oさんは私にとっても心強い看
護師さんで医療的な技術はもちろんだが患者さんに寄り添う心も素晴らしく、
安心・信頼できる人である。この地域では有名な看護師さんである。
 Oさんは「自宅で死にたい」母の気持を一番解っている人でもあり、Oさん
はUクリニックとの連携で対応できると深い理解を示してくれた。U先生への
相談は父と私の受診時にすることにした。私は退職後Uクリニックで血圧と高
脂血症の薬をいただき、今では家族全員でお世話になっている。
 数日後、受診時に母が「自宅で死にたい」と話していることをU先生に伝え
た。U先生は母の年齢と病歴、現在の状態や今後のことを考えると本人希望も
強いので自宅で対応するのが良いのではないかと快く了承していただけた。
そして通院していたH総合病院の血液内科のN先生から紹介状を書いて頂いて
来る事となった。
「自宅で死にたい母の介護」のスタートが決まった時である。
 ※この日は2018年5月18日(金)、父の93歳の誕生日でもあった。


 次回は「延命治療」について書きたいと思います。
お付き合いありがとうございました。応援お願いします。

二度と入院はしたくない、自宅で死にたい(1)

 母から「二度と入院はしたくない」と言われたのは、昨年大腿部頸部骨折の
手術の後のリハビリと同時に慢性骨髄性白血病の治療が始まり、母は家に帰リ
たいがため必死にリハビリを行っていた頃である。母は「早く家に帰りたい、
今度帰ったら二度と入院はしたくない」とハッキリと私に言った私は母へ
「今試している最新の抗がん剤は安定すれば普通の生活が出来るから安心しな
さい」と言った。そして白血球や他の指標も安定し、退院して外来で様子を見
ようと言う事になった。家へ帰った母は最初は久しぶりの家の生活に戸惑って
いたが元気であり安心をしていた。しかし副作用が少し出ていたのを私や医師
に言わず我慢していたのだ。そして退院して1週間で副作用のため全身の状態
が悪化し再入院となった。再入院が決まった時の母のショックは大きかったが
全身の「怠い」感覚や味覚の異常、薬疹など治療しなければ大変だと考えて再
入院に抵抗はしなかった。
 その後、副作用もほぼ回復し、次の抗がん剤による治療と薬の選定を医師と
相談している時の事である。次の抗がん剤は長期に使うと効かなくなる可能性
があり、その時は再度入院しながら次の薬剤を検討するとの医師の話を聞き、
不安は覚えたようだが治療が始まった。しかし入院中の元気は以前ほど無く、
何か色々と考えている様子であり、ある時、私にボソッと「自宅で死にたい」
「もし何か起こっても何もしないでいい」
と言った。私は聞き流そうと思った
が、「そうだね自宅で死ねるのが一番だからね」と言った。
 ※その時、私は母を自宅で死なせてあげたいという気持ちが芽生えた。
      何をどうすれば良いのかまだ見えていなかった。
・・続く