自宅で死にたい母の介護ブログ

入退院を繰り返した母親にもう二度と入院はし たくないと言われ、在宅での介護を決意、これから先 の予測できない医療対応と介護を行い、両親と 私に発生するストレスを記すブログ

両親の日常(日課)、時間割

両親の日常はとても単調で毎日同じことの繰り返しである。単調であることは

幸せなことでもあるがストレスもあるはずだ。
6時:起床(二人とも携帯で目覚しを設定している)
 ※父の着替えは時間がかかる、母はその世話をするのが仕事だが自分は動け
  ないし、手を貸せないので口先でうるさく指示をする。
7時:朝食(私は5時には起きる、色々としながら朝食の準備)
 ※両親の昔からの定番メニューがある、食事前に梅干しでお茶を飲む、食後
  にヨーグルトを食べる。
8時:NHK朝ドラ
 その後、母は新聞に目を通してからトイレ、そしてベットでうとうとTV見
10時:おやつの時間(バナナかヤクルト、その他、自分たちで用意する)
     ※準備しとくのは私です。※私は農作業で忙しいです
12時:昼食(1時間前から私の準備は始まる)
 その後、二人とも昼寝
15時:おやつの時間(飲み物など)その後つねに刑事ものTV
18時:夕食(私は1時間半前から準備)
  ※父はを夏は缶ビール1本、冬は日本酒1合を365日欠かさず飲む。
19時半:風呂、その後ベットでTVを見ながら寝る
22時半頃:就寝


 他に父のデイサービス通いが(月・木)午前中のみ
   母の訪問看護師さんが(月・木)夕方


以上のような単調な繰り返しの中で生活しており、ストレスも溜まると思うが
私の余力が両親のストレス解消まではできない。
 ※課題:自分の時間の作り方


本日は台風の通過もあり時間的には余裕がありました。明日は天気も良くなる
し、暑くなる前に農作業でもします。

両親の食事作りとストレス

両親の3度の食事を作ってほぼ一年(1000食は作ってるかな?)
⇒この数って凄くないですか⁉、家庭の主婦なら当然かもしれないけどね?
食事作りは母の身体優先です「軟らかく栄養価の高いバランスのとれた食事」
が当然望まれます。
①胃が無い事。
②右のストマは腸であまり消化吸収されないうちに出てしまう事。
③左のストマはある程度の消化がされるが出る量が不規則である事。
 ※母は毎日、便の状態を見て消化剤と下痢止めの量を変えてコントロール
  しています。
最近の母は食欲は旺盛で何でも食べますが、硬いものは食べられません。
・・(入れ歯の関係もあります)
 私は料理の知識は殆ど無かったため、COOKpadを片手に悪戦苦闘し、
少し軟らかく仕上げるために煮るのも焼くのも下ごしらえに時間を掛けたりし
て対応しています。ですから時間がかかります(手際も悪いこともありますが)
また軟らか優先は食感が変わり本来の味ではなくなることも良くあります(笑)
両親は肉は豚バラ肉が一番と言ってます、それでも調理が硬いと残します。


 ★ たまにはゴムのような硬いステーキ肉に噛り付きたいーと思って実は昨晩、
私と長男は豚の厚切りステーキ肉を、両親には豚バラ肉を用意し、味付けは同
じにして出しました。 私から一言「硬い肉と軟らかい肉で分けたから」・・
長男がホークとナイフで肉を切っていると。(父)硬そうだな(母)無言・・
 ※たまにはこれで良いんじゃない‼  満足でした。


ブログもスタートして3日目になりました。今後とも宜しくお願いします。

父の身体状態の変化と私のストレス

父は93歳、教師の長男として岐阜で生まれ、和歌山で幼少期を過ごしたが
両親が結核にて若くして他界したため、埼玉の父の祖母のもとに弟と引き取
られた。その後、高等中学を卒業し沖電気へ就職したが戦争で招集され、終
戦を迎え、食べることが優先されたため埼玉にて農業を始める。
そして母と結婚して私と弟を育ててくれた。父は特に大きな病気もなく生活
は大変だった記憶はあるが私を大学まで出してくれた。感謝している。
父は大病は無いが50歳頃から神経痛が発症し悩まされてきた、父はこれが
原因だと言うが80歳の後半頃から左足の動きが悪くなり、歩行に影響する
ようになった。そして現在は起立歩行は出来ず、掴まり立ちがやっと状態
で家の中を這って動く状態である。
※最近、要介護2と判定され、足の機能回復のためリハビリ目的で(デイサ
ービス)に週2回通っている。
※大病は無いは誤りでした。80代の前半に大腸癌の手術をしていました。
 早期発見で転移もなく現在に至る。


《父の変化》
何から何まで身の回りの事は母任せの父、食事、洗濯、掃除はもちろん、
その日に着る物まで母が用意してくれないと着れない生活をしていた。
 ※結婚当初かららしいが、母の教育が悪かったのでは?(笑)
そんな父も母の最初の入院で自分の身の回りの事を行う意識が出てきたのは
当然でしたが・・必要最小限で済ませる性格。その分、近所に住む親戚の方
々に大変なご迷惑をお掛けした。 親戚の皆様に感謝・感謝です。


《父の異変》⇒《私のストレス》
母の転倒骨折事件の前あたりから、父は便意がないのか?時々漏らしている
ことに気づかない。※私は「オヤジ何してるんだ」と怒鳴る(当然です)
頭はしっかりしているし、認知症もなく、歳相応の事だとは絶対に思えない
なぜ?どうして? 這って動くので間に合わないのか?⇒きつい問い詰めが
繰り返される。
※この頃、私は東京本社勤務であったため週末は土曜の朝から日曜の夕方ま
で埼玉で両親の世話をして東京に帰る日々でした。(畑の草取り、植木の剪
定、買い物、生活支援、等々)※下の世話だけはしたくない(ストレス)