自宅で死にたい母の介護ブログ

入退院を繰り返した母親にもう二度と入院はし たくないと言われ、在宅での介護を決意、これから先 の予測できない医療対応と介護を行い、両親と 私に発生するストレスを記すブログ

93歳のパソコン

父は93歳になった今でもパソコンを使う、正確に言えば現在はWORDを使う
だけになった。以前は写真管理なども行い、メールで写真印刷を発注していた
時もあった。最近、また何かWORDで始めたようだ。内容はまだ確認していな
い。


父にパソコンを教えたのは私だ、今から20年以上も前のことである。ボケ防
止に良いのではと勧めたのがキッカケである。その当時、私は九州や四国など
へ転勤しており、実家に帰るのは年に2回(盆と正月)くらいであった。帰る
と父からパソコンの使い方の質問攻めに合ったのを覚えている。


凝り性の父はNHKのパソコン教室などを録画したり、テキストを購入したりし
て、ほぼ独学で扱い方を覚えていった。そして年賀状や家系図、自分史などを
コツコツと作成して楽しんでいた。今ではパソコンも3台目である。


年賀状を出すのは90歳になった事を契機に止めたことで、パソコンに触れる
機会は極端に減った、最近では殆んど使っていなかった。


本人が良く言うが「俺がボケなかったのはパソコンをしていたからかもしれな
い」 ボケ防止効果は確かにあったのかもしれない。そしてまだ使う気持ちが
あるのだから凄い。しかも私への質問は少ない、一度、漢字変換が上手くいか
ず質問してきたくらいである。93歳にしては大したものだと思う。


しかし、93歳で身体が衰え、自分の便意が分からなくなり失敗する父が、這
いまわりながらパソコンを引きづって、ベットから茶の間へと動き回りながら
使っている姿は、現代の高齢化社会を象徴しているかのように思う。


いったい何を書いているのか?
本人はただ「ボケないようにと思って使っているだけなのかもしれない」?

母の動く音「ガラゴロ」

母は家の中を動く時には「手押し車」が一番安全だと必ず使う、「ガラゴロ」
と言う音がすると何故か安心する。 ア!トイレだな? ア!何かしてるな?


両親は10時と15時に必ず何か飲むか食べる。「おやつの時間」である。
この時間は体調の悪い時は別だが、二人の楽しみらしく欠かしたことは無い。
「おやつ」を用意するのは私だが、取に出てくるのは母で「ガラゴロ」と手押
し車に積んでベットに戻り、二人で何かお喋りしながら食べる。日課である。


最近、父が「おやつ」を取りに来ることがある、父は這っているため、持って
帰るのは大変であり、何故かと聞くと、父曰く「俺が手伝っている」との事で
ある。父も母に何か手伝をしたいのかと思っていたが、母は這ってる父に自分
が出来る時には運ばせることはない。 母がシンドイ時があるのである。


そう言えば、茶の間とベットの往復回数も減ってきたように思う。体調が良い
と「よけいな事までして」、「ガラゴロ」が途切れないことがあった。
最近は食後にベットに行くと、トイレには行くが、茶の間には出てこない。


動く量が減っている・・・「ガラゴロ」の音が少ない。


この暑さで、私も動く量が大幅に減っているが! 
心配である。

父と母の身なり

母は身なりを「きちん」と昔からしている。高価なものは着てないが常に「き
ちん」としている。私も昔はあまり気づかなかった、と言うより当然だと思っ
てたのか、感心が無かったのが本当だろう。


病院に入院するようになっても、身体が不自由になっても何時も「きちん」と
している。性格なのか女性だからなのかとにかくきちんとしている。いつ誰が
訪ねて来ても全く問題ない。ただ、ただ感心する。


父は身なりを気にしないわけではないが、朝母から着る物を用意してもらう
生活が当然だったため、今になっていい加減になっている。母が口うるさく、
指示は出しているが、その通りに出来ないから、母も面倒くさくなっていると
思う。  今日、夕食の食卓で食べている2人の姿を見て初めて思った。
 ※食べ方も同じで母は「きちん」としている。父は・・・?同じである。


両親らしさが、今もここにそのままある。