自宅で死にたい母の介護ブログ

入退院を繰り返した母親にもう二度と入院はし たくないと言われ、在宅での介護を決意、これから先 の予測できない医療対応と介護を行い、両親と 私に発生するストレスを記すブログ

父の身体状態の変化と私のストレス

父は93歳、教師の長男として岐阜で生まれ、和歌山で幼少期を過ごしたが
両親が結核にて若くして他界したため、埼玉の父の祖母のもとに弟と引き取
られた。その後、高等中学を卒業し沖電気へ就職したが戦争で招集され、終
戦を迎え、食べることが優先されたため埼玉にて農業を始める。
そして母と結婚して私と弟を育ててくれた。父は特に大きな病気もなく生活
は大変だった記憶はあるが私を大学まで出してくれた。感謝している。
父は大病は無いが50歳頃から神経痛が発症し悩まされてきた、父はこれが
原因だと言うが80歳の後半頃から左足の動きが悪くなり、歩行に影響する
ようになった。そして現在は起立歩行は出来ず、掴まり立ちがやっと状態
で家の中を這って動く状態である。
※最近、要介護2と判定され、足の機能回復のためリハビリ目的で(デイサ
ービス)に週2回通っている。
※大病は無いは誤りでした。80代の前半に大腸癌の手術をしていました。
 早期発見で転移もなく現在に至る。


《父の変化》
何から何まで身の回りの事は母任せの父、食事、洗濯、掃除はもちろん、
その日に着る物まで母が用意してくれないと着れない生活をしていた。
 ※結婚当初かららしいが、母の教育が悪かったのでは?(笑)
そんな父も母の最初の入院で自分の身の回りの事を行う意識が出てきたのは
当然でしたが・・必要最小限で済ませる性格。その分、近所に住む親戚の方
々に大変なご迷惑をお掛けした。 親戚の皆様に感謝・感謝です。


《父の異変》⇒《私のストレス》
母の転倒骨折事件の前あたりから、父は便意がないのか?時々漏らしている
ことに気づかない。※私は「オヤジ何してるんだ」と怒鳴る(当然です)
頭はしっかりしているし、認知症もなく、歳相応の事だとは絶対に思えない
なぜ?どうして? 這って動くので間に合わないのか?⇒きつい問い詰めが
繰り返される。
※この頃、私は東京本社勤務であったため週末は土曜の朝から日曜の夕方ま
で埼玉で両親の世話をして東京に帰る日々でした。(畑の草取り、植木の剪
定、買い物、生活支援、等々)※下の世話だけはしたくない(ストレス)

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