自宅で死にたい母の介護ブログ

入退院を繰り返した母親にもう二度と入院はし たくないと言われ、在宅での介護を決意、これから先 の予測できない医療対応と介護を行い、両親と 私に発生するストレスを記すブログ

お盆様の初日の出来事(8月13日)

今日はお盆様を迎える日だ、昨日の準備も万全であり余裕で対応できそう。


5時00分、いつも通り起床、朝食の準備。
6時30分、父がパジャマ姿で這い出して来る。
     ※今日は父のデイサービスの日であり、いつもより早い。   
      電気カミソリで髭を剃っている。


6時45分、母の声がする、父を探しているようだ。いつもより少し早い。
     母の声がガラガラ声だ、昨日よりは少し良くなった。原因は分から
     ないが、体温も問題なく風邪ではなさそうだ。
8時30分、父がデイサービスへ出発。
8時40分、仏壇の掃除を始める。
9時00分、お盆様飾りを付け、お花を添え、ホウズキを付け、黒竹で飾る。 
10時00分、お盆様の準備は完了、我ながら満足


11時40分、母と二人で昼食
   ※昼食後、母はお盆様の掃除や飾り付けの状況を見、こんなに綺麗に
    なっていると一言。嬉しそうだ。(私も内心満足)
13時00分、お盆様迎えにお寺へ、迎えて来てお線香を2人であげた。
13時20分、父もデイから帰り、お盆様の様子を見て喜ぶ。(満足)
   ・・・・ここまでは良かった。


15時10分、今日は月曜日、訪問看護師Oさんが来て、母の処置をして頂き帰る
     時に、母がOさんに話した事を伝えてくれた。


 母が言ったのはこの様な事らしい
 息子はお盆様の準備を昨年したことをメモしていたらしく、私に何も聞かな
 いで完璧に行っている。 それはとっても嬉しいし、ありがたい。
  しかし、私(母)自身が何も手伝えない事がとっても寂しい。


 私は母がこの身体であるため「何も余計な事をさせない、考えさせない事
が大切」と考えていた。だが違った「頼られたり」、「喜んでもらえたり」
る事はそれ以上に大切であり、本人が生きる意欲や意味を持つことが出来る事
を再確認した。


 私は以前「母は父の世話をする事で生きる意欲を高め」、「生きる意味を見
出している」と考えたことがあるが、これは事実であり、あの身体で頑張る母
はそれを体現している。しかし今日、父だけでなく私も母にとっては生きる意
味の中の一人だと気づき。・・・
     ※いい歳して今頃何言ってるのって言って下さい(笑) 


何年か先にお盆様を迎え、母に手を合わす時が来たら、母に教えて貰った事を
きっと思い出すだろう。

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